2012/10/27

風の中のマリア






















学名をVespa mandarinia
(ヴェスパ・マンダリニア)
スズメバチ亜科の中で最大の
スズメバチであるオオスズメバチのワーカー

人間から見れば
マリアの紹介は上記のとおりになる
思い出すだけで
あの黄色と黒のしましまと
羽音からの恐怖感を覚える

その恐怖以外にはなんの親しみも感じない
オオスズメバチの
生まれてから死んでゆくまでが書かれた本だ
オオスズメバチに「マリア」という
名を与えた事によって
「生態」が「物語」になっている
ものすごい手法だと感心した

オオスズメバチは他の昆虫を狩って
幼虫のエサにする事で
昆虫界の食物連鎖の頂点に立っている
固い甲殻を持つ甲虫類を
易々と噛み砕く事のできるその顎と固いキバ
そして鋭い針
ミツバチの針は全体に返しがついているため
一度刺さると抜く事ができず
生涯に一度の攻撃で命を失うが
オオスズメバチの針は何度もさす事でできる
その針先から噴出される毒液は細胞を分解して
神経を破壊して
巨大なほ乳類さえも死に追いやるのだ。
攻撃力に加え、防御力も高い。
固い頭、固い胸
その身体はすべてクチクラと呼ばれる
強固な外骨格で覆われている
加えて一日に100キロを飛ぶ事ができる
桁外れな飛翔力とスタミナを持つ。

その戦うために生まれたような身体を指して
「マリアは生まれながらの戦士だ」と
物語は始まる

マリアが「偉大なる母」と呼ぶ女王蜂
そしてその女王蜂から生まれた
マリアの兄弟たちが住む帝国を守るために
ワーカーたちには様々な役割が与えられる
帝国を大きくするために
兄弟達を守る為に
ただただ働き、戦い、死んでゆく。

他のハチがマリアに教えるという
スタイルで
先輩ハチにゲノムの仕組みを語らせ
ハチの世界の遺伝の仕組みを説明していたり
だいぶ、ムリな部分を「マリアの気持ち」で語らせている。
それは私自身、感情移入できて読み易い部分でもあるが
しかしその反面
あまりに擬人化しすぎた
「頑張りやさんマリア」の台詞に
国を守るためには誰かが犠牲になったとしても
個の幸せよりも大事なものがあると啓蒙されてるようで
ちょっと、イヤな気持ちになった事は否めない。
いっそ「みなしごハッチ」くらい擬人化されてたら
まったくの物語で読めるのだが…
ハッチのような雄ハチの
悲惨な運命がリアルに書かれているこの本で
どんなに想像力を働かせても
マリアとして浮かぶのは
つぶらな瞳のハチではなくて
リアルな黒と黄色のでかい
オオスズメバチのワーカーなのだ。

だからあえて思う

これは「オオスズメバチの生態」の
本だと思うほうがいい
ただ、読者にわかりやすいように
ハチに名前をつけているだけだ
「ハチ」が自らのゲノムとか遺伝子には
興味が有るのか無いのかは
私たちにわかる事はないだろう
人は自分たちとはまったく生態の違う生き物の
生き方や死に方にさえ
「意味」を探ってしまうのだろうが
そんな深読みは必要の無い事だ。

余談だけど
昨今減少していってるらしい
ニホンミツバチの生態も少し書かれていて
峰球」という胸の筋肉を使って熱を発生させて
オオスズメバチを取り囲んで
その熱で殺傷するという
ものすごい力技を持っていながら
セイヨウミツバチが
ニホンミツバチの巣から
蜜をごっそり盗んでいっても
何もできず、自分たちは
飢えて死んでしまうというくだりには
なんというか…やっぱり
人間社会の何かに例えたくなってしまう
自分がいるなあ…!

2012/07/28

アルケミストー夢を旅した少年




















作者 パウロ・コエーリョ
1988年刊行
世界中でベストセラーになっているので
すでに読んだ事のある人も多いと思う

アルケミスト→錬金術師と訳されている
錬金術師???出会った事は無い
多分、魔法使いとかそういうカテゴリー

少年サンチャゴは夢を見る
旅をして宝物を手に入れるという夢
スペインのアンダルシアの平原で
羊を飼って暮らしている少年にとっては
それは予知夢と呼ぶには
あまりに今の自分の暮らしとかけ離れた内容の夢

出会った老人からこんな事を教えられる
雲から蝶から人から
あらゆる事の「前兆」に気付く力をすでに少年は持っていると
「前兆」は神様からの祝福とメッセージ
自分の運命を知り夢を追う時
この地上にあるたったひとつの偉大な真実と
繋がっているという事
自分が本当にやりたいと思う時
その望みは宇宙の魂から生まれていて
その声をちゃんと聞いて進む事は
地球においての人としての使命だという事
「宝物を探す」という運命を背負ったら
その運命を実現させる事が少年の責任なのだ
神様が用意した前兆に従って行けば
必ず宝物にたどり着くだろうと…

そして少年は羊を売り
教えられた場所エジプトのピラミッドを目指して旅に出る
海を渡り、未知の大地アフリカ大陸へ
泥棒にもあったり、クリスタルを売るお店で働いたり
砂漠を旅しながら、たどりつたオアシスで愛する人を見つけ
錬金術師と出会い教えを乞いピラミッドへたどり着く
そしてとうとう「宝物」を探し出す

ストーリーだけを紹介するととても単純な物語だ

だけど「スピリチュアルの世界」に
ちょっと興味がある私にとっては
少年サンチャゴに起こる様々な出来事を
寓話として読み解いて
今の自分に当てはめてみて
「何かがわかった気になれる」内容だ
この行間からこんな意味を読み取れるのは
私にスピリチュアル性があるからかもと
ミョーな自信が生まれる
世界中でそう思った人がたくさんいるからこんなに売れて
「この本を読んで人生が変わりました」
なんて言う人も現れちゃったりするんだろう

「夢」を捨てないで
「大いなる力(神様)」の存在を信じて進めば
この世界のすべてに祝福され、望みが叶う
この本を読んで
素直にそう思えるキレイなココロを持っていたいけど
最近のうさんくさい
スピリチュアルブームとやらは警戒してるので
手放しでこの本を
「すごいよお!人生変わるから一度読んでみて」と
おすすめはできない

「スピリチュアル」
嘘くさいような、ばかばかしいような気もするし
「スピリチュアル」
それこそが人生の真実のような気もするし
目に見えないものをすべて
否定してしまうのもなんだか違うし
まだ私にとっては答えの出ない分野

とりあえず「神秘」とか「奇跡」とか
そういうものとは一歩距離を置きながらも
自分の心の中のどこかにいる
少年サンチャゴの存在を信じる気持ちは
何歳になっても持っていたいなあと思う

2012/06/06

家族八景




作者 筒井康隆
文庫初版 1975年


1970年代後半
SF小説なる分野に読書傾向が偏った一時期
小松左京、星新一、そしてこの筒井康隆が
私の3大スターだった

小松左京も星新一も故人となってしまったが
この方は白髪、着流しの、シブイおじちゃまになって
関西ローカルの深夜番組で
たまあ〜にコメンテーターなどなさってる

「家族八景」
主人公の火田七瀬は人の心が読めてしまう
超能力者なのである
高校を卒業して18歳で
お手伝いさんとして様々な家庭に住み込み働く
一話完結で8編
8家族の風景を映しだしている

どんな家庭でも、その家庭の事情がある
気付かないふりをして
なんとなく調子を合わせて平衡を保っているところへ
「七瀬」という異分子が入る事で
自分の家の「不自然さ」に気付いてしまうようだ
美人で色っぽい18歳のお手伝いさんが来たら
オトーサンやムスコの心の中は
いやらしい妄想でいっぱいになり
七瀬にはその心の声が聞こえるんだから
大変!

この本を初めて読んだ中学生の頃は
「もし今私の心が誰かに読まれていたらどうしよう」
などと想像して
「考えない訓練」などもしてみたが…
ちっとも実らないで今に至る

35年以上前に書かれた小説のせいなのか
そういう意図なのか
登場人物の心の弱さ、執着
そのへんの心理合戦が
ものすごく大げさでドロドロしている

「七瀬」という人物の描き方にも
作者自身の18歳処女に対する
「おっさんの妄想」が色濃く出ているように思う
七瀬は傷つきやすい繊細な18歳として
描かれてるのではなく
シニカルで少し意地悪な面もあったりする
性格に設定されている
しかも
老いも若きも七瀬を見たら
「イヤラシイ気持ち」にすぐなってしまうようだけど
みんながみんなそんな妄想するかあ?
と突っ込みたくなる

再読してみて
中学生の頃に読んで感じた感想とは
まったく違う気持ちがわいてくる

いい意味で、これが書かれた時代の欲望は
ストレートで理解しやすい
そしてそれを求める気持ちの強さは
なんというか…ギドギドの肉食系なのだ

時代は随分変わり
草食系なる人物像が受け入れられる今
「欲望」の種類は多様化して
あまりにわかりにくい
そして隠す事に必死だった「心の声」は
ネットの中から聞こえてくるようになった
個人ブログ、2チャンネル
ツイッター、フェイスブック、etc…
たくさんの場所からたくさんの声が
発せられている

「ムカツイタ」
「好きになった」
「感動した」
いったい何をわかって欲しくて
発信しているのだろう?
多分、自分自身が一番
自分の本音が何なのかはわからないから
人の言葉に共感した時は
もうそれは自分が言ってる事のように思ってしまったり
自分に共感してくれる人には
親近感を感じたりするのだろうなあ

現代に、もし七瀬がいたら
「ワタシをわかって欲しい!」
「ワタシって何?」
自分探しが大好きな人にとっては
救世主かもしれない
「七瀬さん、ワタシの心を読んで
ワタシをわかってちょーだい」なんていう人が
けっこういるかもしれないね!


2012/04/03

「カタリの世界」

























「太陽」という雑誌があった
いつの間にか廃刊になってしまっていた
特集がいつもシブかった
白洲正子さんを知ったのも
建築とアートに興味を持ったのも
この雑誌の特集からだったような気がする

その「太陽」の別冊として何冊かが刊行されている
毎回、なかなか興味深い特集なのだが
今回はたまたま「カタリ」とい言葉に何かを感じて
久しぶりに雑誌を購入

さてカタリとは?
サブタイトルは「昔話と伝奇伝承」
「はじめに」として前書きが書かれてるのでそれを抜粋してみよう

言霊。コトダマと読む
言葉には魂がある。言葉には神がやどる
音に、オンに意味がある
太郎という男の子がいる、タロウと発音する
「太郎」 漢字で書くと、何でもない名前
どこにでも普通にある名
しかし「タロウ」と書くと、変身
タロウは「タレル」となり
神のこの世での御姿となる
タロウ→タロ→タレ→タレる
垂れる
神がこの世に垂れ給うた
その御姿は童子、赤子
金太郎に桃太郎に浦島太郎に、「ものくさ太郎」
太郎は神の子
ー中略ー

語呂合わせと笑ってはいけない
音(オン)の呪術はオソロシイ
「祈る」は、「イノル」→「ノル」となり
「ノロウ」に至る
「呪う」そう、「祈る」は「呪う」でもあった
なぜ
カタリが「語り」ではなく「かたり」でもなく「カタリ」なのか
カタリというオンの中に騙りも脅しも籠められている 
だますことも、カタリ
恐ろし気なことも、カタリ
うさんくさく、インチキで、奇怪なことがカタリ
けれど「カタリ」は、何よりも不思議

昔むかしのものがたりは、カタらねば、始まらぬ
御伽話に昔話に、神話に、伝承に、
カタリの呪術
言葉の呪力

ー中略ー

言うにもオンの呪術
イウはイワウ。祝う。

カタリの神は福神
カタリの神は来訪神。遊行神
神を迎えて、カタるは、四季の景、祝言
「目出たい、めでたい」と、先に言ってしまえば
福がやって来る
富がやって来る
カタリとは、呪術
カタリとは、呪力
カタリのハナに、神は宿られる
カタリとは招福
カタリとは幸福


「金太郎」はカタリの中で
神の赤子となり
現在に残る神事の中で名を変え
時には形さえも変えて奉られる
「浦島太郎」「桃太郎」も私が覚えている昔話とは
ビミョーに違ったカタリによって奉られる

カタリを聞きに色々な取材を重ね
まとめられた話で構成されている
写真も美しく
興味のある部分のみ拾い読みしても、充分楽しめる
興味のない人にはまったく
「なんのこっちゃ!?」という内容だが
民俗学にちょっと興味があって
「カタリ」という言葉だけでも、
おおっ!」と思う人には
なかなか「タメになる本」である

2012/02/14

GREEN LIFE























世界各国で写した植物の写真を中心に
今の暮らしに影響を与えた
場所、人、そして植物
そんな事が書かれている

著者の熊谷隆志さんを知ったのは
インテリア雑誌で特集されてた
彼の自宅の「庭」を見て

本人のイカツイ顔つきと
穏やかな庭の緑の様子があまりにも似合ってなくて
何やってる人なんだろう?と興味津々
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1970年生まれ
渡仏後、スタイリストとして活動開始
フォトグラファーとして
広告、雑誌等で活躍する傍ら
様々なファッションブランドのプランディング
ショップ内装のディレクションなど
幅広い分野で活動中
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やたらカタカナの多いご本人の紹介文
おっしゃれ〜な業界のおしゃれ番長として
君臨している人なのだろうか

「モノ」を選ぶ事は
自分の暮らし方の方向性を示す事だと思う
気に入った、ひとつの鍋を大事に使い込むのか
安価な鍋をたくさん買って
壊れたら買い替えていくのか
それはお金をたくさん持ってるから
色々なものが買えるという意味ではなく
やはり「自分の暮らし方」への
こだわり具合なのだろう

熊谷隆志さんはサーフィンと出会ったことが
人生の大きなターニングポイントになったようだ
夜型から朝型に生活が変わってゆき
自然回帰へと心が向かい
緑に囲まれて暮らす
GREEN LIFEへ導かれていく様子が
彼が写した写真から伝わってくる

最後のほうのページには自宅の庭が写されている

緑はすぐには育たない
時間をかけてこの形になるように考えて植えられ
手間をかえて育てられているのだろう

私は田舎で暮らしながらも 
GREEN LIFE とは無縁の生活だ
だけど、自分自身の暮らしの方向性が
少し変わり始めているのも感じる
サーフィンは出来そうにないけど
せっかく海に囲まれた島に暮らしながら
夏でも海で泳いでいない
この現状を考え直したい

海外に行った時のみ海に入るのは、きっと
「いい年の大人が子どもも連れないで
泳いでるなんて、かっこ悪い」
「田舎では目立ってしまう」
「太ったこの身体をヒトサマにお見せするなんて」
たくさんの警戒や
つまんない自尊心が自分を縛っている

すぐに自分を変えるのは無理だ
だけどすこしづつ GREEN LIFE にはまっていこう
あせらないで自分の生活を見直していこう
かっこいいモノ
好きなモノを選んで自分のまわりに置いていこう

ページをめくって写真をながめて
添えられた文章を読んでいくうちに
そんな気持ちがフツフツと湧いてくる
すてきな本です

2012/01/22

アースワークスー大地のいとなみー






















著者のライアル・ワトソンは 植物学、動物学、人類学など各分野で
学位を取得しているマトモな人だ、ワトソン博士と呼ばれている
有名な長編も何編かあるし
1990年代には日本でもドキュメンタリー番組にもなっている

しかし学者として認められているのではなく
その独自の学説は、ニューエイジと呼ばれる人たちからは
一種の宗教に近い信望を得ていたり
学説の根拠となってる出来事には「ねつ造」だとの批判もあって
ライアル・ワトソンを読んでるっていうと
「あ〜あのトンデモ?」と返しを受ける事が多いのだ

しかも、Amazonでのこの本の説明は「ライフサイエンスファンタジー」となっている
サイエンスと?ファンタジー?同列で並べる言葉ではないような気もする
私なりに解釈してみたら
科学的根拠のある文章もあるけど
ここに書かれた説は「モノガタリ」だから、細かい突っ込みは止めてね!
ってとこなんだろうか

ワトソン博士はフツー学者と呼ばれる人たちが否定している
「見えないモノ」「大きなチカラ」などというあやふやなものを肯定している
そう…
私たちのまわりには「大きな見えない力」が働いているんだよ、と
そうでなければこんな進化の仕方はあるはずないだろう
どんな生き物もすべて「大きな見えない力」で繋がっているんだよ、と
全力で肯定している
しかも肯定をするための自然現象の撮影もちょっとインチキを使ったり
彼が目にした光景があまりにロマンチックすぎてウソクサク感じてしまう
例えば別の長編でこんなシーンを目撃した話がある

南アフリカで象牙乱獲により、たった一匹になってしまった象が
海を見下ろす高台で、海に現れたシロナガスクジラと
低周波を使ってコミュニケーションをしているシーンを見たという話

いい話だ、もうそのシーンを想像したら涙さえ出そうになる
だけど、その文章の美しさゆえに、ファンタジーになってしまう

しかしそれらの「大いなる力」を決して「神」とは呼ばず
新しい説を唱えて、「学説」として書いているところが
私が、ライアルワトソンという人をものすごく興味深く面白く思う部分だ

「アースワークス」に話をもどそう
12編の短編で構成されていて、読みやすい
1986年の発表なので25年の経過した年月の間に
実証されたり否定されたりしてしまった事も多々あるように思うが
「モノガタリ」として読むと十分に面白い

「水性のサル」と題された章がある
類人猿から現在のヒトへの進化の過程で
わたしたちの祖先は一度森を捨てて水の中で暮らしていたのではないかという説である

現在、ヒトの進化の説で正統とされているのは
今から2000万年前のアフリカ大陸
まだそこが温和な気候の時代には、体毛のある原始的な類人猿の集団が繁栄していたが
その後気候がどんどん乾燥して食料が乏しくなってしまったある時点で
これらの類人猿の何種かが森からサバンナ地帯へ移り
徐々に二足歩行をするようになって現在の人類へと進化していったという説だ
しかし
「アフリカの化石層の中には
それらの進化の説に必要な証拠の骨はまだ見つかっていない
わたしたち(直立し、体毛がなく、言語をもち、大きな脳が発達した人類)の
本当の起源は謎だらけなのだ」
とワトソン博士は語る
人類とチンパンジーは遺伝物質の98%近くが共通であるといわれる
ヒトがヒトである事を決めているたった2%の遺伝物質の中に
「サル」と「ヒト」が離れてしまった事実を説明する何かが含まれていて
人類のみがものすごいスピードで進化して現在の「ヒト」になり、サルはサルのままだ

それはなぜなのだろう?という問いにワトソン博士が用意した答えは
私たちの祖先は森を捨てたのち、サバンナの大平原に行くその前の何百万年かを
水の中で暮らしていたサル、つまり水生のサルだったというのだ
その証拠のひとつとして
人間の新生児は不思議にも、ほとんど生れた直後からうまく泳げること
そしてすべての人は顔が水につくと心拍が自動的に減り
体の酸素消費率が低下するという現象が反射的に起こることをあげている

また水に入ったことのもうひとつの影響が、私たちの性行動にも表れているらしい
水生動物はおおむね、腹と腹をつき合わせて交尾し、それ以外の方法をとることはかえって難しい。霊長類の中でこうしているのはわれわれだけで、他の類人猿はこれをしない。 
また四足より二足の方が早く動けるわけでも、エネルギー効率がいいわけでもない。
何百万年ものあいだ、多くの時間を垂直の姿勢で過ごしてきた水生のサルにとっては、陸上の生活に戻ろうとしたとき、おそらく二足で立つ姿勢の方がとりやすかったろうし、その方が自然だったろう

と、この説の締めくくりに書かれている
どうですか?
なるほどお〜っと思うでしょう?
なるほどお〜っと思う説と
よお〜く読んでみたら「それは無いだろう?」っていう説と両方が書かれている
そのへんがサイエンスとファンタジーなのだろう

2012/01/05

2001年宇宙の旅

2012年が始まった

幼い頃の私は2012年はどんな世界になっていると思っていたのだろう

通信手段ひとつを例に取ってみても大きな変化がある
大好きな男の子の家に電話するのも黒電話で
緊張しながら家族に本人を呼び出してもらっていた
激変する昭和のまっただ中で育った
30年後にはこんなに通信が簡易になるなんて想像さえできなかった

携帯電話を持ってない人のほうが不思議がられ
なおも便利さとスピードを求めてタブレット端末の普及へと移行してゆく現在
パーソナルコンピュータが各家庭にあるのも当たり前になり
あらゆる機械の制御がコンピューターにゆだねられている
私たちの生活の中で、いったい何がコンピューターに制御されていて
何が自分自身の手で制御できているのか
正しく判断できる力が今の私にあるだろうか?
そんな想いを抱きながら
この映画を思い出した

「2001年宇宙の旅」

スタンリーキュービック監督、脚本で作られている
原案製作の段階で
豊富な科学知識を持つSF界の大御所アーサーCクラークとアイディアを出し合い
クラークが小説として書き、そのあとキュービックが脚本を書いたらしい






20才くらいの時にレンタルビデオで映画を見た
導入部分に「ツゥアラトゥストラはかく語りき」という
有名なクラシック交響曲が鳴り響く
猿が骨を持って何かをたたいてる
宇宙船の中で人が冬眠している
宇宙船のコンピューターの名前はHAL
だいたいこのくらいまで見たらいつも眠ってしまってて
あっという間に一週間過ぎて
さっぱり意味もわからないまま返却するパターンが何度か続き
倍速ボタン押しながらの飛ばし飛ばし鑑賞をした結果
難解な映画が、ますます意味がわからず
映像の美しさのみに感動をして
それでも何かがわかった気になっていたあの頃の私

そして、クラークの書いた小説を読んでみた



















やはり大きなキーワードである「モノリス」の意味
HAL自身が意思を持って人を殺そうする意味
(本当にHALの意思なのか?)
「意味」を知って納得したいタイプの私には
小説を読んでやっと納得できた場面が多々ある
特に「モノリス」自体を見た事も聞いた事も無い時点で
画面に出てきた巨大な四角い物体の持つ意味など理解できるはずがない
映像が持つ力と、文章が持つ力の「差」のようなものを感じた

もちろん映像が持つ壮大さ
(製作された年代を考えると宇宙船とか宇宙服とかかなりイケテル)
そして全編鳴り響くクラシック音楽の効果のすばらしさは
映像でなければ味わえない

ストーリーはもう有名な作品なのでここではあえて紹介はしない

文明というものの到達点はどこなのか?とか
進化は誰のために?という根源的な問いをどこかに持ってるあなた
2012年の始まりに今一度
この「2001年宇宙の旅」読んでみて
そして、映像を今一度、見直してみるという
セットでの鑑賞をおすすめする